はじめまして。
「まえいずみ中小企業診断士事務所」 代表の前泉と申します。
当ホームページにお越しくださいまして、ありがとうございます。
最初に、自己紹介をさせていただきます。
東京都墨田区生まれ。
祖父が戦後からホーロー工場を経営しており、その工場内で育ちました(事務所の2階が住居でした)。
今でも、建物脇の鉄板の階段や、細長い赤色のじゅうたんの廊下のことを覚えています。
私が6歳の時に工場を畳むこととなり、8歳で大阪府吹田市へ転居しました。
以降はずっと大阪以西で暮らしています。
動物が好きで、読むのはシートン動物記か、斎藤惇夫氏の「ガンバの冒険」、椋鳩十氏の本ばかり。
小学校3年生の時にノートに書いた将来の夢は「環境庁(当時)長官」。
地域的な公害が問題になっていたものの、世界規模の環境問題は殆ど話題にならない時代でしたが、
子供心に自然が破壊されていくことへ危機感を覚えていました。
高校では硬式野球部へ入部。
甲子園を狙える学校ではなかったですが、ヘタクソでレギュラーは取れませんでした。
それでも、高3の夏のまでやり通しました。
野球部を退部するまで大学の受験勉強は全くしておらず、父兄懇談で担任教諭からは
「1年浪人しても地方大学合格も難しいと思いますよ」 と言われるような有様でした。
受験勉強を始めるにあたり、大学でしたいことは何か? と考えました。
高校のクラスは、単純に数学が苦手だったので、文系コース 。
「環境問題を一から勉強したい」 と考え、学部を探したところ、候補はすべて理系学部。
そこで急に理系転向。周りからはアホかと言われました。
気合い入れて、神戸大学理学部地球科学科(現 地球惑星科学科)に入学しました。
ただ、入学した神戸大学を含め、当時は環境問題を体系的に学べる学部はありませんでした。
結局、大学ではクラブ活動に明け暮れる毎日。クラブはアイスホッケー部を選びました。
練習はスケートリンクの一般営業が終わってから夜中に行うため、昼夜逆転の暮らし。
勉学は何も修めななかったですね... いま振り返りますと、違った過ごし方もあったとは思います
(後悔はまったくしていません!)。
就職先は銀行。
環境問題と切り離せない 「経済」 について仕事をしながら学び、将来的には銀行で
環境関連のビジネスに携わりたいと考えました。
結局、その願いは叶いませんでしたが、27年間、主に法人のお客さまの営業を担当しました。
色々な経営者とお会いし、会社の盛衰が、経営者の力と密接に結びついていることを知りました。
そして、いつか自分も経営をしようという想いが強くなりました。
40歳の頃から自然豊かな田舎暮らしを望むようになり、50歳になった2023年、丹波篠山市へ移住。
きっかけは、偶然ネットで見つけ参加した、移住体験4泊5日ツアーでした。
京阪神の都市部へのアクセスが良好で、しかも歴史的な街並みが大切に残されている地域。
住んでいる人も、とても魅力的。丹波篠山で中小企業診断士として開業することを決意しました。
銀行での経験を活かし、資金調達・販路開拓・新規事業展開・事業承継・開業支援などで、
地元の法人や個人事業主の方、移住して起業を検討する方の、お役に立ちたい。
縁をいただいて移住した、大好きになった丹波篠山市で、貢献したい。そう思っています。
また、丹波篠山を起点に、景観・里山・自然を護る社会起業をしたい。
古き良き日本の暮らし方(自然を敬い怖れ、自然に寄り添い暮らす)を守りつつ、
それが残る日本の田舎が自走していける仕組みを作り、ロールモデルとなることが目標です。
半生を振り返りますと、途中で諦めず、地道に努力し続けることだけは、やってこれたと思います。
4年前からは武道も始めました。野球と同じでヘタッピですが、黒帯目指して頑張っています。
https://goshinjutsu.jp/
これからも地に足を付け、一歩一歩、精進を重ね続けて参りたいと思っています。
我以外皆我師。どうか、ご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます。
前泉 雄介